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国産初の1球は今なら約3000円!? 90年続くボールの歴史を担当者に聞いた #ブリヂストンボール開発基地探訪

2026/08/18 10:45

同社のボールの歴史を振り返る(撮影:ALBA)

私たちが何気なく打っている1球のゴルフボール。その中には、飛距離やスピン性能を追求する最新技術だけでなく、数え切れないほどの工程と、人の手による徹底した品質管理が詰まっている。ブリヂストンのボール開発・製造現場に潜入し、普段は見ることのできない開発・製造現場を順を追って紹介。1球が完成するまでの工程や、それぞれに込められた技術者たちのこだわりをひも解いていく。初回は同社のボールの歴史を宮川直之氏とともに振り返る。 【ロボット試打計測】ドライバー、アイアン、ウェッジショット時のスピン量に飛距離…ボール31種の結果を全公開! ◇ ◇ ◇埼玉県秩父市に、ブリヂストンのボール開発拠点がある。もともとは生産工場もこの地にあったが、2011年に関工場(岐阜県)に移り、今は開発部だけが残る建物の2階には、これまで同社が生み出してきたボールがずらりと並んでいた。ゴルフ歴10年ほどの筆者にとって、コーポレートロゴ・Bマークは見慣れたものだが、それ以前のボールは初めて見るものばかり。その歴史の始まりはなんと1935年にまでさかのぼるというから驚きだ。当時の価格は1球1円。大卒初任給が約90円だった時代なので、現在なら1球約3,000円前後の価値となる。我々アマチュアにとっては、現在売られているツアーボールも高価に思えるが、当時のゴルファーにとっては、それこそOBや池に入れるたびに肩を落としたくなるような代物だったのだろう。並んでいるボールのカバーやスリーブを見ていると、色焼けで茶色になっているものもあり、そこにも長い歴史を感じさせるが、いくつもの技術的な転換点があるのだという。その1つに挙げられるのが77年に発売された『「ADレクスター』だ。ADは“オールディンプル”の略。ディンプルは揚力を生むために重要な要素だが、かつては「製品名やロゴを入れる(印刷する)ことを優先していた」ため、ディンプルがない箇所があったという。『ADレクスター』からは印刷技術が発達したことでロゴ下にディンプルを配置することが可能になり、より安定して飛ばせるボールへと進化した。93年、長らく“糸巻き”が主流だったボール史に風穴を開けるように登場した『レイグランデ WF』も革新的なモデルだ。糸ゴムを何重にも巻いて作る糸巻きボールは柔らかな打感が大きな魅力だった一方で、硬度の安定や均一性には限界があった。それに対して、一体成型されたゴムで作る“ソリッドボール”は性能や品質の安定性に優れる反面、打感では糸巻きボールに及ばなかった。しかし、『レイグランデ WF』は、2ピースのソリッドボールながらも、柔らかな素材をカバーに採用することで“糸巻き”のフィーリングを残すことに成功したのだ。ニック・プライス(ジンバブエ)はこの革新的なボールを使い、93年、94年と2年連続で米ツアー賞金王を獲得。94年には「全英オープン」、「全米プロ」も制した。また、ジャンボ尾崎こと、故・尾崎将司氏もいち早く糸巻きボールから同モデルへ切り替え、飛距離を武器に勝利を積み重ねていくこととなる。その後も進化は止まない。翌94年には、『ALTUS Newing』が発売。当時は「硬くなければ初速は出ない」という考え方があったものの、それに対して柔らかな打感でありながら飛距離を実現した。価格は1球700円、1ダース9,600円。現在のツアーモデルが1球500~600円、1ダース6,930円ほどであることを考えても高価だが、それでも5年連続でベストセラーボールとなった。ジャンボ尾崎の使用ボール『JM2』も大きな話題となり、94年から6年連続で日本ツアー賞金王の使用球として注目を集めた。99年にはボールのつなぎ目をなくすシームレスディンプルが登場。2000年には世界で初めて3ピースボールにウレタンカバーを採用した『PRECEPT MC TOUR PREMIUM』も発売した。技術的ないくつもの転換点があっただけでなく、選手とのめぐり合わせも同社のボールを語るうえでは外せない。03年、当時高校3年生だった宮里藍が「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープンゴルフトーナメント」でアマチュア優勝を果たす。そこには、ちょっとした秘話があった。「アマチュアだった藍ちゃんのキャップは同時スリクソンでしたが、実は優勝時に使用していたボールはブリヂストンだったんです。当時はスリクソンのモニターだった一方、聖志、優作と2人の兄が契約していたことから、同大会で初めてブリヂストンのボールを手渡してみたところ、いきなり優勝。これをきっかけに同社との契約が始まり、“藍ちゃん”との歩みがスタートしましたね」(宮川氏)そして、現在のボールシェアを考えるうえで欠かせないのが、タイガー・ウッズ(米国)とのボール契約だ。両者の関係は、メジャー3勝を含む自身最多の9勝を挙げた2000年から始まっていた。当時ナイキと契約していたものの、タイガー自身も公言していたように、ボールの中身はブリヂストンが製造。そして17年、ナイキがゴルフ用具事業から撤退したことを受け、ブリヂストンと正式にボール契約を結んだ。いまでは「タイガー=ブリヂストン」というイメージを持つ人も多いと思うが、宮川氏によると、タイガー本人から連絡を受けた際には、社内でも「嘘なんじゃないか」という空気が流れたという。予想外の出来事をきっかけに「タイガー=B」というイメージが広まり、「シェアが苦戦しているなかで、ここから復活し始めた」と、『TOUR B』ブランドが多くのゴルファーに再認知されることとなった。タイガーが表現する「ディープ感」というフィーリングは、『TOUR B』の開発思想にもつながっており、この秘密も教えてもらったがそれはまた別の機会に……。こうして年代を追ってみると、ゴルフボールは“飛び”だけを追いかけてきたわけではないことが分かる。構造も、ディンプルも、カバーの素材も進化を重ねて、“飛び”と“フィーリングの良さ”の両立を目指してきた。秩父に並ぶ、少し色焼けしたボールの一つひとつが現在の『TOUR B』につながってきた。この長い年月と、そこにかけられた情熱や努力を思えば、現代のツアーボールは決して高くないのかもしれないと思い始めてきた。次回はまた別の角度からボールのこだわりをひも解いていきたい。(文・齊藤啓介)