仲間たちとハグで優勝を喜ぶ申ジエ(撮影:鈴木祥)
<日本女子オープン 最終日◇4日◇宝塚ゴルフ倶楽部 旧コース(兵庫県)◇6185ヤード・パー70>区切りの1勝をつかみ取ろうとする強い気持ちは、見ている者すべてに伝わってきた。気迫、執念…。鬼気迫るゴルフで、申ジエが永久シード&ツアー史上初のメジャー4冠を達成した。
【写真】喜び大爆発! ジエの優勝ポーズがすさまじい
「この優勝のために頑張ってきた。あと1勝がこんなに長くなるとは思わなかった。女子オープンにもやっと勝てた。優勝できる機会がどんどん少なくなり、余裕も少なくなった。優勝するには何をすればいいのかをずっと考えていた。うれしいです」2打差で首位の桑木志帆を追いかけた最終日。朝から降り始めた雨がやむことはなかった。選手たちを悩ませ、苦しめてきたラフは大量の水分を含み、さらに難しくなった。スコアは伸びない。3日目に「67」と追い上げ、思惑通りに滑り込んだ最終日の最終組。目の前の桑木との勝負に徹することができた。「天気予報以上に強い雨だったけど、悪天候は私に有利。コースは難しいし、コンディションが厳しくなって、誰かが大きく伸ばすことはないと思った。桑木さんとの勝負になる。集中できました」2打差は前半で3打まで広がったが、後半の9ホールで追いついた。4日間を通じて最も難しいホールとなった13番パー4で16メートルをねじ込み、14番パー5は残り120ヤードの3打目をピン左1メートルにつけた。17番パー5は3打目をピン右50センチにピタリ。71ホール目で初めて首位に並び、「もう周りのことは関係ない勝負。好きです」という18番パー4でのプレーオフに持ち込んだ。「初めてのチャンス。『入れる、入れる』と言葉にしながら打ちました。桑木さんは弱いところがないのが強いところ。バーディじゃないと勝てないと思った。多分、桑木さんもそう考えていたと思う。一緒に回ることができて、とてもうれしかった」初めてパーオンした3ホール目。ピン右4.5メートルをガツンと沈めた。この日、バーディを決めたとき、ピンチをしのいでパーをセーブするたびに何度も握り締めた右こぶしにさらに力が入った。そして、「覚えていないです。自然に出ました」という両手を天に突き上げ、全身で喜びを表現した渾身のガッツポーズ。2004年の不動裕理以来22年ぶり7人目の永久シード、そして史上初の国内メジャー4冠を達成した瞬間だった。米ツアー時代の2012年には「多分、今でも記録だと思う」という9ホールに及ぶプレーオフを制したこともある。米ツアーでは負けなし、韓国ツアーでは1敗だけ。日本でも今回で12戦で8勝目となったプレーオフ。すべて最終日最終組から勝ち取った国内メジャー6勝目。まさに勝負師だ。韓国ツアーで21勝、米ツアーで10勝(10年ミズノクラシックを含む)、日本で31勝(JLPGA入会前の08年ヨコハマタイヤPRGRレディスを含む)、豪州ツアーなどその他の優勝を加えて、世界を舞台に積み上げたきた勝利は「66」となった。「20歳くらいのときは勝負に強かった。優勝するのがクセになっていた」と表現した勝って当然の時期から、今年4月で38歳となった。抗うことのできない年齢からくる衰えはトレーニングでカバーし、体調管理にも人一倍、気を使う。体重は全盛期と比べてもほぼ変わらない。PRGRレディスの優勝資格で日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の会員になって336試合目で同時に達成した2つの快挙。長年マネジメントを担当し、師匠ともいえる存在の日本ツアー1勝の金愛淑も「すべてがゴルフ中心の生活」とあきれるほど努力する天才は強かった。「アメリカで10年を目標にやろうとしたことが4年で終わりました。23歳か24歳のころで、そのあとが見えなくなり、楽しくなくなった」世界ランキング1位になり、08年と12年には全英でメジャーも制した。14年からは主戦場を母国の隣国の日本に移すことに。日本ツアーの生涯獲得賞金は歴代1位に立ち、今回の優勝で15億3901万5289円となった。「これから、また次の目標を考えます。私のゴルフはまだイケる。永久シードをとれて、ずっとゴルフができる。またいいプレーがしたい。きょうが新しい出発の始まりです」日没寸前の長い戦いを制したベテランのゴルフ人生は新たな夜明けを迎える。(文・臼杵孝志)