7人プレーオフを制した倉林紅(撮影:米山聡明)
<資生堂・JAL レディス 最終日◇5日◇戸塚カントリー倶楽部 東コース(神奈川県)◇6487ヤード・パー72>史上最多の7人プレーオフを制して初優勝を遂げたルーキーの倉林紅(くらばやし・こう)。昨年プロテストに合格した98期生では一番乗り。宮城県出身者では初めてツアー優勝を果たした。技術の裏付けもさることながら、強いマインドの持ち主でもあった。
【写真】初優勝を挙げて歓喜の涙を流す倉林紅
最終18番で5メートルのバーディパットを沈めて、トータル12アンダーでホールアウト。最終組の3組前の倉林は、この時点で神谷桃歌と並ぶクラブハウスリーダーだったが、涙があふれた。「(後続が)13アンダーになるだろうと思っていたので…。優勝したい気持ちがあたので」。正規のラウンドでは出だしから連続ボギーと幸先悪く、途中はバーディ量産で巻き返したが、後半早々に2~3メートルのバーディパットを外し、14番でも1.5メートルを逃した。追う立場の選手として「少し心が折れかけていた」と吐露したが、「一番大きかった」という15番パー3で3カップほど切れる4.5メートルをねじ込んで気持ちを奮い立たせた。クラブハウスで涙があふれたが、唯一13アンダーに達した永井花奈が18番でボギーとして、史上最多人数のプレーオフが決まった。「これはもう自分にチャンスが回ってきた、と逆に強い気持ちにとらえることができた」とリセットして臨むことができた。プレーオフ2ホール目は、2打目をピンの右4メートルに乗せる。しかしアマチュアの長澤愛羅がその内側の2メートルにつけてきた。「自分が決めなきゃいけないという風に思っていた。正規の18番のバーディパットと同じようなラインだったので、打つラインは決まっていたし、あとは打ち切るだけ」と自分の1打に集中。それを沈めて逆に長澤にプレッシャーを与えて勝負を決めた。2005年生まれの倉林は、宮城県富谷市出身。東日本大震災で「家にヒビが入った」などの被害を受けた11年がゴルフのキッカケ。「周りも落ち込んでいるなか、それまでスポーツとかやっていなかったのですが、両親がこれをきっかけに何か夢を持てて新しいことに挑戦していこうとなって」と6歳でクラブを握り始めた。地元のゴルフ場ではカートを手押しして遊び感覚でゴルフを楽しんだ。宮里藍や有村智恵らを輩出した地元の名門・東北高校で腕を磨き、昨年3度目の挑戦でプロテストに合格した。そして史上2人目となるプロテスト合格年にQT1位で今季の出場権を手にした。当時から「宮城県勢で初優勝」という目標を掲げている。プロゴルファーとして大事にしている言葉がある。「私は絶対にできる。今の自分に満足する私じゃない。もっともっとすごい自分を見せてやる」と父・大作さんの教えもあり、自分を奮い立たせる言葉を常に言い聞かせている。「マイナスな気持ちになり、緊張したときは心の中で言い聞かせています」と常にポジティブに考えている。目標だったルーキーイヤー優勝、宮城県勢初優勝を遂げると、「将来はゴルフを通してたくさんの方に夢や感動を与えられるようなプレーヤーになりたい。もっとたくさんの方に『倉林紅』という選手を知ってもらえるようにがんばりたいです」と2勝目、3勝目に目を向けた。ちなみに『紅』の名前の由来は『紅一点』。「何か1つキラリと目立つ存在になって欲しいという意味でつけてくれました」。ちなみにこの日のキラリは「最後の優勝パットを決めた時はすごい輝いていたんじゃないかなと思います(笑)」。2005年度生まれは菅楓華や荒木優奈、入谷響とすでに優勝経験者がツアーを彩る。新たなヒロインは女子ゴルフ界でキラリと光る存在になる。(文・小高拓)